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zoom RSS 父親が死にそう

<<   作成日時 : 2016/01/19 05:12   >>

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父親が肝臓の癌と付き合うようになってから五年が経ちます。

最初にそれがわかった時、家族はそれなりに心配したわけですが、本人は至って通常運転であり(装っていたのかもしれないが)テレビを見てはゲラゲラと笑っていました。
五年の間に癌はいろいろなところに顔を出して、去年見舞いに行った時に「癌のデパートだな、各フロアごとに癌を取り揃えていらっしゃる」と励ましの言葉をかけたところ、ほんとにそうだと父親は笑い、母親と姉ちゃんは苦虫を潰したような顔で俺たちを睨みました。
症状は落ち着いたり、盛り上がったり、まあ、俺にはよく見えないところで進んで行き、癌という存在が劇的なものではなく当たり前としてそこにあるようになって、もしかしてこのまま死なねえんじゃねえかと思い始めた矢先に(あくまでも俺個人としての感覚)腹水が溜まるようになったから実家にきてくれと言われまして、肝臓癌で腹水がたまるってことは、まあ、そういうことだろうなってことぐらいは知っていたので、なるほど、いよいよなんだねと、実家に集合することになりました。
今年の正月、実家に顔を出した時はなんだか、抗がん剤が効いてるのか元気そうだったんですが、正月明けあたりから急にガクッと体調が悪くなって、検査の結果、抗がん剤が全く効いていない状態で、数値は上昇を続け、腹水が溜まり、歩くのも辛く、尿も出ないという、末期的な感じになったらしく、具体的な終末に向けて家族四人で集まり、遺言状を確認して封を閉じ、葬式の段取りやお墓のこと、保険や今後のあれこれを話して、延命治療を望まない旨を俺たちに伝え、姉ちゃんや母ちゃんは泣いていたけど、父親は淡々と喋り続け、俺はツッコミを入れながら話を聞いていました。

話もある程度ひと段落して、俺が台所でタバコを吸っていた時、そうだ、トモ、と呼ばれ、ん?と話の席に戻ると、父親は俺にこう言いました。

「お前は喪主になるから、俺の葬式で、いろんな人がお前の所に来て俺の話をするだろう、その時に、その人の話の内容とお前の解釈があまりに噛み合わないとおかしなことになるから、簡単な略歴を話しておく。」と、ここに来ての自己紹介を始めました。

高校を卒業し、小さな土木会社に入り、東京オリンピック開催に向けて沸き立つ都内で仕事に従事し、会社に入って三年後、その会社が大きな会社に吸収合併され、自分もそこの社員になった。

なるほどなるほど・・ん?あれ?

大学出てるって言ってなかったっけ?高卒だったのかよ、今知ったよ!
母ちゃんは、なんか、お父さんは日大出てるとか言ってたぞ?会社の偉い人はみんな東大とか京大で、日大を出てあの地位まで行くのは大変なんだとか俺に言ってましたけれども、そうですか、都合よく日大持ち出してやがったのか、日大ってまあ、そういう意味じゃ、使いやすい大学なのかなって気はするけれども。

とにかく、そこから上司や部下にも恵まれて、仕事に邁進し、いい人生であったと、父親は語るわけです。
そして、略歴を語った後、穏やかな表情で、そこに居るからこそ見えたんだろうなっていう事を、言い出したわけです。

「人間、思い残すことがないっていうことは、絶対にないと思う」

自分もここに来てもなお、したいことや過去への後悔などが、もう、たくさんあると。
食べたいものがたくさんあるのに、お腹が張って少ししか食べられないことが、とりあえず今は悔しく(そればっかり言う)だから、人生のすべてに満足するなんてことはない、けれども「まあ、7割は、良い人生であった」と、穏やかに、語りました。
俺は、それを聞いて、それはなんか、今、終わりは確実に見えているけれども、病状が、精神を乱すほどの痛みや辛さを伴っていないから得ている感覚であって、これから先、事態がさらに悪化した時に、また同じ質問してみたら、いいことなんか一個もねえ!とか言い出すのかもしれないな、とか思いながらも、病気が発覚してから五年、ある程度の心の準備を得られたからこそ言えるのだろうな、という、幸せな感想に、ほんと、【あくまでも個人の感想です】と書いておかないと「突然亡くなってしまう人の気持ちも考えろ!みたいなクレームが来るんじゃねえのか、みたいな、贅沢な感想を言う父親を見て、いい死に方なんてないのかもしれないけど、もしかしたら、これが、いい死に方と言っても差し支えのないものなのかもしれないな、と、思ったりも、しました。

なんとか、次のオリンピックまで頑張りたいんだが、と言うので、欲張りすぎじゃねえかと反省を促したんですが、違う違う、次の、今年の、リオの、夏のオリンピック、と重ねてきて、だったら分かる、と、一同いろんな意味でホッとしたりもして、話も一段落し、母親がご飯にしようと、うなぎの丼を出してきたので

ここに来てうなぎとは随分トンチが効いてるじゃねえか

世界中に散らばる嫌味をここに集めたのか

精つけたってすぐに散るぜ、つけた精がもったいねえ

などと、俺からの罵詈雑言をBGMに、四人で、うなぎを食いながら、そこで、俺は、なんとなく、そうだ、俺、勘当されてた時期があったんだ、と、思い出して、あの日、なんとなくの和解の後、実家で食べたご飯を思い出して、あれはすげえ美味かったけど、あの時俺は何を食べたんだろう、すげえ美味しかったのは覚えているけど何を食べたんだろう、俺はすげえ美味しかったけど、父親はあの日、あの時の、ご飯を覚えているのだろうか、美味しく感じたのだろうかと思って、聞いてみようかと思ったけど、きっと、詳細は覚えてないだろうし、その話は今でも何となくタブーなのでこの場にはふさわしくないかもしれないと思い、言葉と、うなぎを飲み込みました。

その後、パソコンの調子が悪いからちょっと見てくれと言われ、見たらもう、こっちも末期で、これダメだな、という話になり、買い換えるのかどうするのかという話になって

でも、今買い換えるの、すげえもったいなくねえ?(死ぬから)

という結論に至り、父親と二人で頭を悩ませたりして、データのバックアップやとりあえずの初期化などは姉ちゃんに任せて、手の空いた俺と父母はひたすら競馬を見てました。

俺はなんだか、葬式での「あいつは今なにをしてるんだ」という周囲からの声が今からもう聞こえてくるようで、思わず、普通の仕事してれば良かったなあ、とボヤいて、そうしたら、公演を一度も見に来たことのない父親が「いいじゃねえか」と言って、なんだろう、あ、いいと思ってるんだ、と、今日はなんだか、いろいろと、知ることができる日だなあと、競馬をひたすら見てました。

ここまで書いておいてあれですが、これは、みんなに読んで欲しい文章じゃなくて、いつか、あの日何があったかを、俺は、なんていうか、この景色だけは忘れないぞと誓ったことを、忘れたことで思い出し、その頃には景色も霞の向こう、という事態に陥るような人間なので、忘備録、忘備録じゃないけど、そういうことがありましたって、ことを、記しておかないといけないと思ったから書いている文章であり、だから、まとまりも面白みもないのは、ご容赦ください、ここまで書いてきてすげえ今更だけど。

あと、本人はこの状態になってからも麻雀には行ってるらしく、俺が、死にかけから金取れねえから勝ちっ放しだろ、と言うと、みんなそのこと知らないもん、と言っていたので、もし俺の親父と親交がある人がこれを読んでしまったら、このことは内緒にしてください、そして容赦なく麻雀で金をむしり取ってください。(ちなみに麻雀で金銭の取引をするのは犯罪です、私は現在、警察への通報を検討しています)

あとは、あとはなにがあっただろうか。


母親は、お父さんと結婚してから、毎日一緒にいて、毎日3回ご飯を一緒に食べられて、そういうの初めてだから、病気になったのはあれだけど、こういう時間が持てたことは嬉しく思っているの、と、言いました。

すごく、幸せなの

と、言いました。

父親は

最近、仲いいんだよ

と、言いました。

俺は

そうですか、よかったですね

と、言いました。

あの日、父親は、まあ、よく喋りました、ベラベラと、喋りました。
俺は父親と、ほぼほぼ喋った記憶がないので、一生分喋ったんじゃねえかなと思います。
本人も、大体のことは言えたんじゃないかと思います、けど、一個だけ。
昔、俺だけに、なぜだか分からないけど、言ってきた、若い頃に女の家にいたらそいつの彼氏が帰ってきてパンツ一丁でベランダから飛び降りて逃げたって話は出ませんでした。
多分、墓場まで持っていくつもりだと思います、なので、もしも本人に会っても、パンツ一丁で逃げたんですよね、とは言わないであげてください。

俺は、よきタイミングを見計らって、言ってやろうと思います。

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